東京高等裁判所 昭和53年(う)1924号 判決 1979年6月07日
被告人 清水久夫こと金榮男
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役六月に処する。
原審における未決勾留日数のうち一〇〇日を右の刑に算入する。
原審および当審における訴訟費用の全部は、被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、検察官杉村周二の作成した控訴趣意書に、これに対する答弁は弁護人太田実の作成した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
所論は、本件公訴事実は「被告人は法定の除外事由がないのに、昭和五二年一〇月初旬ころから同月一三日までの間に、長野県長野市内においてフエニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤若干量を水に溶かして自己の身体に注射し、もつて覚せい剤を使用したものである。」というにあるところ、原判決は同年同月一三日に被告人から提出された尿の中から右の覚せい剤が検出されたことを認めながら、それは一定時刻における覚せい剤の体内保有を示すに過ぎず、本件における具体的使用態様たる、注射による使用を認めるに足りる証拠はなく、犯罪の証明がないとして被告人につき無罪を言い渡した、しかし覚せい剤使用の事実としては、原判決がいうように、必ずしも具体的使用の態様が明かにされることを要するものでないばかりでなく、本件においては証拠上、被告人が覚せい剤水溶液をその身体に注射して使用した事実も、また優に認められるから、原判決は証拠の価値判断を誤つたすえ、事実を誤認したものである、というのである。
そこで検討すると、原審(第一、二回)および当審証人丸山勝衛の各供述、原審証人菊地佳久の供述、被告人作成の昭和五二年一〇月一三日付任意提出書、長野県警察本部科学捜査研究所技術吏員菊地佳久の作成した鑑定書によれば、被告人が昭和五二年一〇月一三日長野県警長野南署において自己の尿を司法警察員に任意提出し、これを右菊地佳久が鑑定した結果、右尿の中からフエニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤が検出されたことが認められる。
被告人は、捜査段階以来右のように尿を提出したことは認めながらも、右鑑定に付された尿は被告人の尿でない疑いがあるというけれども、その具体的根拠は明らかでなく、証拠上も、警察関係者による検体の意図的なすりかえとか、或は不注意による取り違えなどを窺わせる事情はあらわれていないから、被告人提出の尿と鑑定の検体との同一性については疑問を入れる余地はない。
そして前示証人菊地佳久の供述によれば右鑑定の結果として、被告人が尿排泄時から七日ないし一〇日間遡つた期間内に覚せい剤を自己の体内に摂取した結果、これが尿排泄時まで体内に保有されていたことを示すことが認められるところ、原審および当審証人白川年一の各供述によれば、被告人が昭和五〇年ころから同五一年ころにかけて覚せい剤の水溶液を自己の腕に注射していた事実、次に原審証人宋静江の供述によれば被告人が昭和五二年六月ころから本件直前の同年九月ころまでの間に数回にわたつて覚せい剤水溶液を自己の腕に注射していた事実、なお前示の原審および当審証人丸山勝衛の各供述によれば昭和五二年一〇月一三日に被告人の左腕に多数の注射痕があつたうえ、被告人の自宅から注射筒一本(当庁昭和五三年押第六六六号の一を指す。)、注射針一一本(同号の二)が発見された事実が、それぞれ肯認されるのである。
これらの事実のほか、関係証拠により認められるところの、本件当時被告人が長野市内に居住していた事実を加えれば、本件公訴事実は、十分に証明されたものであるといわなければならない。(使用された覚せい剤の分量は数字的には明らかでないが、一回の注射に用いる若干量として特定されていると解する。)
しかるに、原判決は、前示のように被告人が提出した尿から覚せい剤が検出された事実を肯定し、さらにこれが覚せい剤の使用を裏づけ得る証拠であることを認めながらも、さらに具体的な使用方法が認められないかぎり本件犯行を証明する証拠価値はないとしたうえ、(一)前示の被告人の左腕の注射痕については、被告人は当時肝臓治療の注射をしていたし、また左腕に注射するのは被告人による従来の注射方法と異なる、(二)被告人の住居内から覚せい剤の付着していないと思われる注射筒、注射針が発見されたからといつて覚せい剤の注射とは関連しない、(三)昭和五二年六月ころから同年九月ころまでの間、被告人が覚せい剤を注射していたからといつて同年一〇月初旬以降の注射を推認するのは飛躍がある、したがつて本件については犯罪の証明がないなどと説示するのである。
しかしながら、被告人の尿の中から覚せい剤が検出された事実のほか、本件においては、すでに述べたとおり、被告人の覚せい剤注射使用の有無に関連するが、被告人の腕に多数の注射痕があつたこと、被告人の居宅内から注射筒と多数の注射針が発見されたこと、被告人が以前においても、また本件に近接した時点においても、覚せい剤を注射していたことなどの有力な情況証拠が存在するのである。
原判決は、これらの情況証拠を各別に切り離したうえ、その一つ一つについて、いずれも被告人が覚せい剤を注射した事実を推認するには十分でないという。
しかし、(一)被告人の左腕に多数の注射痕のあつたことは、尿の中から覚せい剤が検出された事実と関連させれば、覚せい剤の注射による使用を推測させる有力な資料と考えられる。
もつとも、証拠上、本件当時に被告人が桑原病院において肝臓の治療を受けていたことは認められるけれども、そのため多数の注射痕が残るほど注射をうけていたとは到底認められないし(当審において取り調べた桑原宣彦の検察官調書によれば同医院においては昭和五二年九月二八日から翌一〇月一二日までは注射をしていないことが肯認される。)、原審証人白川年一の供述および被告人の昭和五三年二月一四日付検察官調書などのうちには、被告人は以前に覚せい剤を自己の右腕に注射していたという部分があるが、注射する場合どちらかの腕でなければならない理由はないことからいつても、これらの証拠から被告人は左腕には注射はしないなどという帰結を導くことは疑問であるし、他方、左腕に多数の注射痕があり、他にそのような注射痕の成因をなすような事情の窺われない本件においては被告人の体内にあつた覚せい剤は注射により使用されたとみるのが自然であろう。(当審証人白川年一の供述によれば、被告人は以前に左腕にも覚せい剤を注射していたことが窺われるし、また当審証人原孝夫の供述および当審において取り調べた長野県警技術吏員神津公作成の鑑定書によれば被告人が昭和五三年一月二六日逮捕された際に、提出した尿の中からも覚せい剤が検出されたし、また当時被告人の右腕に著明な注射痕のあつたことが窺われるのである。)
また、(二)被告人の居宅内で注射筒や多数の注射針が発見されたことは、他方において被告人の尿の中から覚せい剤が検出された事実と照らしあわせるとき、他にこれらの注射筒、注射針の用途につき納得し得るものが窺われない以上、むしろ覚せい剤の注射による使用を充分に推測させるものといえる。
さらに、(三)被告人が以前においても、またその後昭和五二年九月ころにも覚せい剤を注射していたことのある事実は、本件の覚せい剤使用がその直後の問題であるだけに被告人が注射により使用した事実を強く推測させるものというべきであり、このような推認を飛躍という原判決の考え方には疑問がある、といえる。
以上の(一)ないし(三)のほかに、被告人の尿の中から覚せい剤が検出された事実とを併せ考えれば、被告人が覚せい剤を注射して使用したという本件公訴事実はその証明が十分になされたものといわなければならない。
したがつて、本件につき犯罪の証明がないとした原判決は証拠の価値判断を誤つたすえ、事実を誤認したものであつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、といえる。
論旨は理由がある。
よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書にしたがい自判する。
(罪となるべき事実)
前示の公訴事実と同一であるから、これを引用する。
(証拠の標目)(略)
(累犯前科)
被告人は、昭和四七年九月六日長野地方裁判所上田支部において常習賭博罪により懲役四月に処せられ、同四八年一一月五日その刑を受け終つたものであり、その事実は被告人に対する前科調書により認める。
(法令の適用)
被告人の判示行為は覚せい剤取締法四一条の二の一項三号、一九条に当るが、被告人には前示前科があるので刑法五六条一項、五七条により再犯の加重をした刑期範囲内において、被告人を懲役六月に処するを相当とし、同法二一条にしたがい原審における未決勾留日数のうち一〇〇日を右の刑に算入し、なお刑訴法一八一条一項本文にのつとり原審および当審における訴訟費用の全部を被告人に負担させることとする。
そこで主文のとおり判決する。
(裁判官 藤野英一 新関雅夫 渡邊達夫)